アンジェリーナ・ジョリーは2002年3月、最初の子供マドックスを養子として向かい入れました。養子縁組を決心し、それを実現するまでのことを書きますね。
縁結びは映画『トゥームレイダー』!?
1998年に放送されたテレビ映画『ジーア/悲劇のスーパーモデル』で一躍注目を浴びるようになったアンジェリーナ・ジョリー(以下、「アンジー」と記します)。
主人公ジーアがトップモデルになってから様々な苦労を抱えていたように、アンジーも幼少期のトラウマなどから来るであろうたくさんの悩みを抱えていました。
それはジーアと同じような生活の乱れとなって現れてしまうのです。
映画『ジーア』については、こちらの記事もどうぞ♪
さて、そんなアンジーの全てを、2001年公開の『トゥームレイダー』が変えてしまいました。アンジーはこの映画でアクションの基礎をストイックにそして徹底的に学びました。数ヶ月に渡る厳しい訓練がアンジーを覚醒させたのでしょう。
そうしてマインドが大きく変化した状態で、彼女は撮影の地、カンボジアを訪れます。アンジーはそこで見聞きした状況に愕然とするのです。
アンジーの言葉に耳を傾けてみましょう。
「この国での経験は私の人生を変えたわ。私が思っていたより世界は、はるかに大きかった。学ぶべきことはまだたくさんあるのね。」
アンジーはカンボジアという国や現地の人々に深く感銘を受け、帰国後三日間泣き続けた。なぜかはわからなかったが、涙が溢れて止まらなかったという。
「この国がどんなことを乗り越えてきたのか私は知らなかったし、歴史の授業でも習わなかった。でも、カンボジアの人々はとても温かく、美しく、純粋で正直だった。そして、カンボジアという国が、ただもう愛おしくてたまらなかった。」
[fontsize size=”1″](アンジー伝記『暴かれた秘密』P247より引用)[/fontsize]
アンジーは、このカンボジアでの体験を契機に、酒、タバコ、クスリ、炭水化物といった様々な誘惑を断ちます。
そして、「カンボジア愛」は留まることを知らず、やがて、「カンボジア孤児を養子とする」と決心するに至るのです。
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映画『トゥームレイダー』がアンジーの人生を変えたということについては、こちらの記事もどうぞ♪
撮影の合間を縫って、UNCHRとの現地視察!
実は、アンジーが「カンボジア孤児を養子にする」と決心するには、もうひとつ体験があったのです。それは、自らUNCHR(国連難民高等弁務官事務所)に、難民の現地視察をしたいと申し出たのです。そして、撮影の合間を縫って、2001年2月から1年間の間にアフリカ、カンボジア、パキスタン、エクアドルを歴訪します。
アンジーがUNCHRにこう話したのです。
彼女はニューヨークのUNCHRに連絡をして、彼らが支援、保護していたシエラレオネとタンザニアを訪問したいという意向を伝えた。彼女はUNCHRの職員に対し、率直にこう話した。
「こんなことを言うとおかしいと思われるかもしれないけど…。確かに私は女優よ。でもマスコミ関係者とは一緒に行きたくないの。もし、許可してくださるのなら、実際にこの目で見て学ぶためにUNCHRの職員の方と一緒に活動させて欲しい。」
さらに二つの条件も加えた。一つは自費で参加すること。そして二つ目は他の職員と同じように扱ってもらうことだった。
[fontsize size=”1″](アンジー伝記『暴かれた秘密』P251より引用)[/fontsize]
アンジーの本気が伝わってきますね。
ちなみに、2001年2月から始まった難民地域視察については、アンジーの日記として『思いは国境を越えて』が出版されています。
[fontsize size=”1″](※画像はAmazonアソシエイツを活用しています)[/fontsize]
UNCHR職員との現地視察については、こちらの記事もどうぞ。
夫ビリー・ボブ・ソーントンの支え♪♪
アンジーは1999年公開『狂っちゃいないぜ』で共演したビリー・ボブ・ソーントンと、2000年、2回目の結婚をします。ビリーはアンジーとは5回目の結婚でした!
ビリーは、『トゥームレイダー』で大きく変わっていくアンジーを支えます。UNCHRの視察や、カンボジアから養子をもらうことなどについても、賛同し、心配ながらもアンジーを甲斐甲斐しくバックアップしていくのです。
撮影で離ればなれになっていても、2人はちょっとした合間にも会い、愛を育んできたのです。
カンボジア孤児を養子に向かい入れることは相当の困難が伴いました。それを乗り越えたのもビリーの存在が大きかったのです。
アンジーに立ちはだかった養子縁組の壁!?
アンジーとビリーは、カンボジア現地の難民施設でたくさんの赤ん坊に会います。そのなかで2人の心を掴んだのがマドックスでした。2人は、彼を養子にすることを決めます。
養子縁組エージェントはこう語っています。
アンジーはラス(マドックスのこと)に出会った瞬間、恋におちたのね。人種や文化が違うことすら、忘れさせてくれたんだと思うわ。その無防備な赤ちゃんが彼女の心を開いた。私はそういう光景を何度も見てきたわ。
[fontsize size=”1″](アンジー伝記『暴かれた秘密』P261より引用)[/fontsize]
しかし、問題が立ちはだかります。アメリカ政府がマドックスのビザ発行を認めなかったのです。
当時、難民孤児を養子縁組することについては、孤児を売買するということにつながり、法的な目が厳しく、簡単に認可される状況ではなかったのです。
しかも、アンジーが依頼していた養子縁組のエージェントがその人身売買の疑いをかけられたりして、そのため予定は随分と遅延したようです。
やがてエージェントの疑いが晴れ、マドックスはアンジーとビリーの手に抱かれたのです。
ここでさらなる問題発生です。アンジーの困った父、ジョン・ヴォイトがうっかり「おじいちゃんになった」とマスコミに口を滑らせてしまったのです。そして、父への情報源が母マルシェリーヌだったとしり、アンジーはさらにショックを受けたといいます。
で、このあたりの混乱のとき、アンジーが使う言葉に変化が出てきました。
本当ならビリーと自分で「私たちの子供」というべきところを「私と私の息子」という表現に終始したといいます。
そして、アンジー2回目の離婚…
息子を無事抱いた2人ですが、まだ、アメリカへの入国が許可されていません。
ビリーは自分の仕事を減らしてまで、アンジーとマドックスを支援すると誓っていたようです。
マドックスという存在は、なぜか、アンジーとビリーの間に亀裂をつくってしまったようです。
ビリーの友人の言葉です。
以前、ビリー・ボブはアンジーにとって太陽であり、月であり、星であり、そして空だった。でももう彼はアンジーの宇宙に存在しない。マドックスが彼女の新しい世界の中心になったんだ。」
[fontsize size=”1″](アンジー伝記『暴かれた秘密』P266より引用)[/fontsize]
アンジーという人は、極端に興味を限定し、集中する人なのかもしれません。
そして、一端冷めたらもう戻らないというのは…世の女性と同じです。
まとめ
最初の子供マドックスをカンボジアから養子として向かい入れるまでのアンジー。
そこにはアンジーの生き様、そして「アンジーらしさ」が込められています。
そして、これを機に、立て続けに2人目の養子ザハラ(エチオピア)を向かい入れるようになります。そのときには、アンジーのもとには、ビリーではなく新しいパートナーの存在がありました。
それが2005年公開『Mr.&Mrs.スミス』で共演したブラッド・ピットだったのです。
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