アンジェリーナ・ジョリー長男マドックスの故郷カンボジアについて

カンボジア地図 (c) photoAC


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アンジェリーナ・ジョリーの人生を激変させた国、カンボジア。そして、長男マドックスの故郷、カンボジア。今回は、そんなカンボジアについての紹介です♪

以下、本記事ではアンジェリーナ・ジョリーを敬称なしの「アンジー」と記します。また、長男マドックスについても敬称なしで記します。
 

カンボジアについて概略

 
カンボジアと周辺の地図
 
カンボジアは、インドシナ半島南部にある立憲君主制国家です。
人口約1,500万人、首都はプノンペン。
1970年頃からの内戦を経て、1993年に誕生した国です。
 
東はベトナムと、西はタイと、そして、北はラオスと国境を接しています。
南はタイランド湾に面しています。
 
国民の9割以上がクメール語(カンボジア語)を話し、仏教を進行するクメール人(カンボジア人)です。
 
カンボジアの国旗はこれです。
 
カンボジア国旗
 
国旗中央に描かれているのは、カンボジアの象徴であるアンコール遺跡の一つ、アンコールワットです。
 

カンボジア近現代の歴史

 
カンボジアは、16世紀ころからポルトガル、スペイン、オランダ、フランスなどが到来し、1863年にはフランス帝国の保護国となります。そして、いくつかの変遷がありながらも、第二次世界大戦後の1949年、フランスからの独立が認められ、1953年に完全独立を果たします。
 
しかし、1955年にベトナム戦争(第2次インドシナ戦争)が始まると、国内は急激に不安定化します。そして、アメリカ、南北ベトナムの介入があり、カンボジアは内戦状態に突入します。
 
1968年にはアメリカ軍による空爆が開始され、2年後の1970年には親米派であるロン・ノル将軍のクーデターでシハヌーク国王が追放され、クメール共和国が樹立されます。
 
しかし、クメール共和国樹立で内戦はさらなる激化状態になり、アメリカ軍による空爆が、なんとカンボジア全域に拡大してしまいます。このアメリカ軍の攻撃により、反米を掲げたクメール・ルージュの勢力が拡大したのです。このクメール・ルージュにかつての国王シハヌークが連動し、ロン・ノル政権打倒に動き出します。
 
そして、1975年4月、極端な共産主義を主張するクメール・ルージュのポル・ポト書記長がクメール共和国を倒し、民主カンブチアを樹立します。「民主」とは名ばかりで、徹底的な民衆弾圧の政権で、虐殺などで100万人から200万人の犠牲者が出たと言われています。徹底的な思想改造で全国民の3割近くが命を落としたのです。
 
世界の冷戦の影響もあり、冷戦が終結するまで、カンボジアの内戦状態は続きました。
 
ポルポト時代のクメール・ルージュによる民衆弾圧の状況については、アンジーが監督として2017年『最初に父が殺された』(Netflixオリジナル映画)として描いています。
 
この映画『最初に父が殺された』については、こちらの記事をご覧下さい。
☞ アンジー監督最新作、長男マドックスも製作関与
 
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アンジー、UNHCR職員とカンボジア訪問

 
アンジーとカンボジアの出会いは、2001年公開映画『トゥームレイダー』の撮影です。当初はカンボジアでの撮影はなかったのですが、予算等の関係でカンボジアがロケ地の一つに選定されたのです。
 
そこでアンジーが目にしたカンボジアの現状に、アンジーは驚愕するとともに、そして、現地の人たちとの関わりのなかで、カンボジアへの愛、さらには、難民救済という意識が芽生えたのです。
 
映画『トゥームレイダー』が2001年6月に公開されたあと、7月に、アンジーはカンボジアを再訪します。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の活動の一環として、職員たちとカンボジアの難民キャンプなどを訪れました。
 
主に、地雷処理等の現場を見て廻ったのです。
 
アンジーが再訪した2001年には内戦も終結し、人々はもとの暮らしに戻りはじめていましたが、実際、各地に埋められた地雷の処理は、かなり手つかずの状態だったのです。
 
子供たちがいる学校の脇に地雷があるというような状況でした。アンジーは手足をなくした人たちをたくさん目にしました。

たとえばこんな光景を見た。片手、盲目の男性が楽園で作業をしていたが、ちょっと家に戻りたいと言う。すると別の男性が近づいてきて、彼が家まで送っていく。その人は両手がないけれど、目は見える。この二人は一緒に働いている。障害のある者、弱い者同士が、おぎないあい、助け合っているのだ。
 
両腕のない男性には六人の子どもたちがいる。ほんのちょっとの苗しか植えることができないと嘆いている。とても優しい顔をしている。八年間タイで難民だったが、国に戻り、また家族のために一から樺ロウとしていた。その矢先、土地を開墾していて、地雷が爆発したのだ。
 
茶色い目の幼い男の子がお父さんの肩にしがみついている。お父さんは身を寄せて微笑む。お金がないから子ども全部は学校に通わせられない。三人しか学校へは行っていない。学校へ行くのに子ども一人につき一ヶ月千五百リヤルかかる。それはアメリカの三十選とにあたる額だ。
 
彼は話し続け、私は書き続けている。私は泣きそうだから、ノートに集中する。彼の話を聞いて哀れに思ったりうろたえたりしていると、彼に悟られたくない。
 
※『思いは国境を越えて』(アンジェリーナ・ジョリー著)P121から引用

 

アンジーの体験はいくつかに結実します

 
アンジーが映画『トゥームレーダー』の撮影でカンボジアを訪問したこと。そして、その後UNHCR職員と同行してカンボジアを再訪したこと。
 
このアンジーの体験は、アンジーの人生を大きく変えました。
アンジーの伝記『彼女のカルテ』からアンジーの言葉に耳を傾けてみましょう。
 

カンボジアの人たちについて、いろいろ耳にしていたわ。彼らがくぐり抜けて来たものもね。だから、私にはある種の先入観があったのよ。だけど、実際あってみると、本当に心が広くて崇高で、開放的で親切な人たちだった。
 
カンボジアの血塗られた歴史は、あちこちに「立ち入り禁止区域」という爪あとを残している。戦争終結から、もう何年も過ぎているというのに。
 
(中略)
 
今も地雷が埋まっているから、病院にはいまだに毎日、地雷を踏んだ子どもたちが運ばれてくる。恐ろしくて本当に悲しかった。こんな話、聞いたことないでしょ? こんな現実に気づくことが、アメリカ以外の世界で暮らす人々を本当に理解することなんだと思う。そう、カンボジアは私の目を、しっかりと開かせてくれたわ。
 
※アンジー伝記『彼女のカルテ』(ブラントン・ハースト著)P127から引用

 
これまで考えたこともなかった難民救済に強く関わるようになります。
ジョリー・ビット基金などを創設して、多額の金銭的援助をするようになります。
難民各地もUNHCR職員と同行し、危険なところへも出向きます。
 
そして、初めての子どもとして、カンボジア孤児を養子とすることを決めます。
 
アンジーの行動は、女優のいっときの興味だけでは終わらなかったのです。自らもドラックや酒や過度の炭水化物などを断ち、節制をしながら、新しい活動に注力していくのです。
 
15年にわたるアンジーの人権擁護活動は、2017年公開の監督映画『最初に父が殺された』に結実します。この映画製作においては、長男マドックスが製作総指揮に名を連ねており、それなりに活躍したと言われています。
 
カンボジア人の血を引くマドックスとしては、母アンジーと『最初に父が殺された』の製作に関われたことは、今後、映画製作に関わる強いきっかけとなったのではないでしょうか。
 
アンジー伝記『彼女のカルテ』については、こちらの記事もどうぞ♪
☞ アンジー伝記『彼女のカルテ』(ブラントン・ハースト著)
 

まとめ

 
今回はアンジーの人生を変えたカンボジアという視点で、長男・マドックスの故郷でもあるカンボジアの紹介をさせていただきました。
 
アンジーも言っていますが、カンボジアはとても人が優しく素敵な国だそうです。今回の記事ではそのような紹介はしませんでした。それについては、サイト管理人「シネマファン♪」がカンボジア現地を訪れたことがないということも背景にあります。
 
いつか機会があったら、カンボジアは訪れてみたいです。カンボジアの素敵なところを紹介するのは、そのときまで取っておきますね。
 
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カンボジアの歴史、内戦の悲惨な状況などを理解するためには、Netflixオリジナル映画『最初に父が殺された』の視聴をお薦めします。
 
この映画『最初に父が殺された』については、こちらの記事もご覧いただければと思います。
☞ アンジェリーナ・ジョリーが監督映画『最初に父が殺された』に賭けた想いは…
☞ 
アンジェリーナ・ジョリー長男マドックス製作総指揮映画がNetflix世界同時配信開始!
 
※アイキャッチ画像の出典:photoAC
 
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いつも、読んでいただきありがとうございます。
シネマファン♪


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