アンジェリーナ・ジョリーの最新監督映画『最初に父が殺された』について書きます。
[fontsize size=”1″]以下、本記事ではアンジェリーナ・ジョリーさんを敬称なしの「アンジー」と記します。ブラッド・ピットさんも敬称なしの「ブラピ」と記し、また、子供たちも敬称なしで記します。[/fontsize]
目次
かつて、2017年2月頃の報道で…
今から7ヶ月前、アンジェリーナ・ジョリーさんの次期監督作品のことが報道されました。そのときに話題になったことは、長男のマドックスが製作総指揮に名前を連ねているということでした。
この映画『最初に父が殺された』は、ポル・ポト時代のカンボジアが舞台の作品です。ルオン・ウン氏の同名書籍が原作で、脚本はアンジェリーナ・ジョリーさんとルオン・ウンさんが2人で手がけてきました。
アンジーの養子で長男のマドックスはカンボジア出身ということもあり、また、両親〜アンジェリーナ・ジョリーさんとブラット・ピットさん〜が関わる映画製作にも興味を持っているようで、流れとして、この作品に関わることは自然なことなのでしょう。
それでも、製作総指揮に長男・マドックスが名前を連ねたのには、正直びっくりです。
両親の破局で、マドックスはブラピに会うのを拒否!?
ところで、2017年10月にアンジーとブラピの破局が報じられました。
家族旅行かなにかの際、プライベートジェット機のなかでブラピがマドックスに暴力を振るったことで、当局がドメスティックバイオレンスでブラピを捜査するとかしないとか、そして、アンジーが怒り頂点に達し、離婚を申請した…という展開があったのです。
その後、子供たちとブラピの接見の際、長男・マドックスが「頑なに会うことを拒否している」ということも報道されました。
そんな渦中に、マドックスの映画の話題が出てきて、アンジー&ブラピのファンとしては、複雑な思いを抱きながら、読んだものです。
そして、そのあとに続く報道が全くなく、心配をしていたのです。
アンジー監督作品、9/15にNetflix世界同時配信開始!
「アンジーとブラピは復縁するかも」というニュースを見聞きして、いよいよ、「子供たちが鍵になる」と思っていたのです。そんなとき、そのキーマンとも言うべきマドックスの報道が出ました。製作総指揮のことです。
本作品『最初に父が殺された』は2017年9月15日、動画配信サービスNetflixで世界同時配信されました。いわゆるNetflixオリジナル作品なんです。
今や、Netflixは年間5〜6千億円の巨額資金を投入して、オリジナルコンテンツを作っているといわれています。ですから、Netflixがつくる映画は、フツーの映画の質的レベルに負けない、あるいは凌ぐものさえあるのです。
映画『最初に父が殺された』について
この映画はカンボジアのポル・ポト時代、民衆に対してものすごい圧政が行われました。その頃の悲惨な状況を描いています。
ルオン・ウンの回想録『最初に父が殺された 飢餓と虐殺の恐怖を越えて』をベースにした作品で、回想録を元に、アンジーとルオン・ウン氏が脚本に起こしました。
そして、製作総指揮には7人の名前があるのですが、ルオン・ウンとともに、
- マドックス・ジョリー=ピット
の名前も♪
マドックスは、製作前の事前会議にもきちんと出席していたそうです。
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最初に父が殺された ―あるカンボジア人少女の記憶―
作品の超あらすじ
1970年代にポル・ポトが政権を握ると、原理主義的な共産主義が革命の名の下に猛威を振るい、100万人を越える人々が虐殺されたのです。虐殺された人々の数については、諸説ありますが…。
で、物語ですが、革命軍が都会の住人たちの住まいを明け渡せという流れのなかで、そこに住んでいた公務員(?)の父を中心とした親子たちが安全な田舎に疎開するべく向かいます。
当時は、思想教育という名目で、教師、医者、公務員、資本家、芸術家、宗教関係者たちが捉えられて、強制収容所に送られたのです。
物語の家族も、田舎を頼るも追い出され、結局、親子ともども強制収容所で過酷な労働の日々を送るようになります。
そうこうしているうちに、家族がバラバラに…。
マドックスの働きってどうなの!?
物語は1970年代ですから、当然、マドックスは生まれていません。
しかし、カンボジアは、政権が変わったとはいえ、ポル・ポト政権の圧政などの傷あとは深く、まだまだ貧しい人たちが多い国でもあるわけです。そして、マドックスもそういう貧しさのなかで生まれたのです。
ただし、マドックスは乳幼児でアンジーに養子として引き取られたので、彼の記憶のなかにカンボジアにおける難民達のつらさはないのです。それでも、自らのなかに流れるカンボジアの血が、ポルポトの圧政、虐殺の時代に真正面から向き合うことをさせたのかもしれません。
映画づくりの経験もなく、カンボジアの圧政・窮状も全く経験していないマドックスがどのように製作に関わっていたのか。そのあたりの情報が全く流れてこないので、推測もできません。
しかし、作品づくりを通じて、カンボジアの歴史を追体験し、それを自分の頭で考え、作品づくりにおいて、なんらかのリソースとして提供していたのでしょうね。
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あるニュース記事によると、マドックスは撮影現場のフォトグラファーとして参加していたとあります。マドックスの力が作品のどこに貢献・反映しているのかは定かではありませんが…。
マドックス、仕事を終えてのコメント
16歳になったマドックスは、映画の仕事を終えて、母・アンジーといっしょに仕事をしたことを振りかえりました。
- 僕は手助けできることならどこでもしようとしたよ。
- (お母さんは)一緒に仕事をする人としてたのしくて、おもしろくて、楽なんだ。
- (カンボジアで面白いのは)間違いなく人々だね。とても落ち着いていて、リラックスしていて、ワイルドなことをする時はするんだよ。そういう意味で僕みたいなんだ。カンボジア人で誇りに思うね。
アンジーの期待、監督として、母として…
監督・アンジーの姿勢は…
マドックスが今後、映画業界で仕事をするのかどうかをアンジーが問われたとき、彼女はこう言っています。
- マドックスは今回の仕事に熱心だったわ。
- (だから彼が今後映画を仕事にするかどうかは)彼次第ね。
- 今回の作品は(カンボジア出身の)彼にとって格別で重要だったけど、私としては(彼の映画界での活躍を)望むところよ。
また、母としての一面を込めて、このようにも発言しています。
- 私がこの世界で仕事を続けているなら、自らの意思で子供たちがこの業界に入った折には、一緒に仕事がしたいと思うわ。
まとめ〜子供たちの自由意志に任せるのが大基本
アンジーの子育ての大基本は、子供たちの自由意志に任せるということです。そのために、機会を提供することがある。そういう流れで、マドックスが今回映画の仕事に関与したのかもしれません。
そして、その経験をベースに今後、映画関係の仕事をするかどうかは、まったく、マドックスの自由だということです。これについては、マドックス以外の5人の子供たちについても同じ。
とっても、判りやすい教育方針ですね♪
作品を理解するための3つの追記
極度な現状否定は理想実現から遠ざかる!?
ポル・ポトは、私有財産制否定、貨幣廃止、都市に住む知識層を農村に強制移住させる等で、カンボジアを理想的な共産主義社会につくり変えようとしました。
しかし、ポル・ポトらの意に反し「改革」はいっこうに成果を生まず。農産物の生産の激減、全土に飢餓蔓延し、難民があふれたのです。
革命に酔う幹部たちにとって、教義は神聖すぎて、自らの過ちを修正する原動力にはならなかったのです。
作品で度々出てくる「オンカー」とは
「オンカー」とは、カンプチア共産党(クメール・ルージュ)中枢を指す隠語で、組織を意味します。
末端までに至るすべての指示は「オンカー」から伝えれているということで、「オンカー」というフレーズは神聖化した言葉でした。しかし、その実体を誰も知らなかったということこそ実体だったのです。
人の世界が狂うと、ひとつの神聖化されたフレーズ、文言で、すべての悪行のエクスキューズになってしまうのですね。悲しいことです。
ポル・ポトの圧政被害者は総人口の3割に達した!?
調査により数字の開きがあります。しかし、最大で当時の総人口の3割に達する人々が、ポル・ポトの圧政、虐殺で命を落としたと言われています。
トップの盲信がいかに怖いか。実際に世界にはトップの盲信著しい国々があるだけに、人ごとではないですね。
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いつも、読んでいただきありがとうございます。
シネマファン♪