アンジェリーナ・ジョリーについて知らなかった18のこと〜彼女の人生が見えてくる!?

アンジェリーナ・ジョリー映画ネタバレ


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アンジェリーナ・ジョリーに興味を持ち、このサイトを開設しました。そして知ったこと。それらのなかから「18」のエピソードを紹介させていただきます。彼女の生き様が見えてくるかも。

エピソードソースはアンジェリーナ・ジョリーの2つの伝記、彼女自身の著書、その他ネット情報などです。
 
あなたが知らなかったアンジェリーナ・ジョリーのエピソードがあると思います♪
 
なお、各項目において項目タイトル以外は、アンジェリーナ・ジョリーのことを「アンジー」と敬称なしで記述させていただきます。
 

目次

【その1】アンジェリーナ・ジョリーは育児放棄されていた!?

 
サイト管理人「シネマファン♪」(以下、「私」と記します)が一番驚いたエピソードがこれです。
 
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アンジーは俳優ジョン・ヴォイトと女優マシェリーヌ・ベルトランの間に生まれた2番目の子供です。上には兄ジェームズがいます。
 
アンジーが生まれる頃、父ジョン・ヴォイトの浮気が発覚し、夫婦は離婚に到ります。兄ジェームズとアンジーは母マルシェリーヌが引き取ります。しかし母マルシェリーヌは生まれて間もないアンジーの育児をベビーシッターたちに任せ、育児放棄状態がはじまってしまいました。それが1年以上続いたのです。
 

そこはがらんとした殺風景な部屋だった。白いカーペット、白いカーテン、白い壁に囲まれ、置いてある家具といえばベビーベッドだけ。1年以上、この部屋で女の子の赤ん坊は寝かされ、寄せ集めのベビーシッターたちが入れ替わり立ち替わり世話にあたっていた。ほとんどのベビーシッターが売れない役者か、顔見知りで、仕事は時給3ドルで24時間体制だった。
 
*アンジー伝記『暴かれた秘密』P6から引用

 
アンジー伝記『暴かれた秘密』(アンドリュー・モートン著)のなかで、当時のベビーシッターの1人が実名登場し「本当に心が痛かったわ。今でも怒りがこみ上げてくる。子供が本当にかわいそうだった。」と証言しています。
 
なぜ母マルシェリーヌがアンジーを育児放棄したのか。その理由を知るとあなたはさらに驚愕することでしょう。
 

アンジーを見ているとジョンを思い出してしまうの。だから、あの子のそばにはいられない。だって、あまりにも苦しすぎるから。
 
*アンジー伝記『暴かれた秘密』P7から引用

 
生まれて1年以上、母親との接触が極端に少ない子供がどう育つのか。心理学の大家でもない私にでさえ想像がつきます。アンジーが負ったであろう心の傷を思うと苦しくなります。
 
そしてこの育児放棄はアンジーの潜在的なトラウマとなります。アンジーの人生を大きく左右する出来事となってしまったのです。
 
以下に記すエピソードの多くのがこの育児放棄によるトラウマが遠因にあることは間違いありません。心理学者たちのそういった見解についても、以下のエピソードのなかで逐次紹介させていただきます。
 

【その2】アンジェリーナ・ジョリーは7歳で映画デビューした!?

 
アンジーが物心ついたころには、すでに離婚していた両親ですが、父ジョン・ヴォイトとは頻繁に会う関係性はありました。しかし彼女の環境はかなり複雑で、自宅には母マルシェリーヌの恋人がいて、父が2人みたいな状況のなかでアンジーは暮らしていたのです。
 
さて、離婚しても娘たちを気遣う父ジョン・ヴォイトは、自分の主演映画『大狂乱』に娘アンジーを出演させました。アンジーは7歳にして映画デビューです。離婚した母マルシェリーヌがなぜそんなことを許したのか。
 
そもそもマルシェリーヌは有名になりたいが故にジョン・ヴォイトと結婚したとアンジーの伝記には書かれてあります。つまり、元夫であっても離婚してからもジョン・ヴォイトの名前は使えるときは使う…という思いがマルシェリーヌにはあったのです。だから娘が有名になるためなら元夫ジョン・ヴォイトを利用するわけです。躊躇なくね。
 
で、この映画『大狂乱』出演者で驚くのは娘アンジーだけではないのです。
 
アンジーの母マルシェリーヌ、つまりはジョンの別れた妻も出演。さらには、ジョンとマルシェリーヌが離婚するに到った女性、つまり、ジョンの浮気相手ステイシー・ピックレンも出演しているのです。
 
ここまで来ると、彼ら彼女らの神経が理解できません。まさに映画タイトル通りに「大狂乱」です(笑)。
 
さて、映画『大狂乱』には、アンジーが父ジョン・ヴォイトといっしょに登場するシーンがあります。実は、当初、そこに居るべき子は男の子であり、アンジーの兄ジェームズが演じることになっていました。
 
しかし、撮影当日、ハル・アシュビー監督が突然「子供は女の子でいく!」と宣言し、お鉢がアンジーに回ってきたというのが真相です。
 
そのためスタッフはアンジーをプライベートジェットで移動させたり、未成年者を労働させる許可を関係省庁に取ったりとてんやわんやだったのです。
 
いろいろあったアンジーの7歳映画デビュー。アンジーの演技がひときわ光っていたとか、素晴らしかったというような話は全く聞こえてきません。
 
だいたい映画『大狂乱』自体がそれほど評判になりませんでしたし…。具体的にはこの映画、制作費17百万ドルに対し、全米興行収入は1百万ドルに満たないというものでした。
 
それでも、アンジーにとっては「女優業の場慣れのはじまり」という点で、少しは意味のあることだったのかもしれません。ただし、この映画デビューでアンジーの心のなかに「将来は女優よ」みたいなものが育つことはありませんでした。
 

【その3】アンジェリーナ・ジョリーは両親の離婚で自分探しをスタートした!?

 
父ジョン・ヴォイトと母マフシェリーヌ・ベルトランの離婚、そして、母の育児放棄は、アンジーの潜在意識に大きな影を残しました。アンジーは無意識のままに「自分は誰、何者?」という「自分探し」をスタートするのです。
 
「乳幼児期の育児放棄は精神的に大きな影響を及ぼす」という心理学者はたくさんいるようです。たとえば、デ・ジョルジュ博士は次のように話しています。
 

幼少期のトラウマにより心理的に未成熟な人々は、感情を抑制することができない。
 
*アンジー伝記『暴かれた秘密』から引用

 
また、心理学者のアイリス・マーティンは次のように語っています。
 

アンジーは母親に血する心の奥にある怒りを表すことができなかったため、その怒りを自分自身に向けたのです。
 
*アンジー伝記『暴かれた秘密』から引用

 
アンジーの「自分探し」は自由奔放な性、ドラック、タバコ、自傷行為と波乱に満ちた方向へと向かっていきます。しかもそれは10代前半で起きてしまうのです…。
 

【その4】アンジェリーナ・ジョリーは14歳で同棲していた!?

 
アンジーは抑えられない性への衝動で早々にバージンを捧げた少年と、14歳で同棲するに至ります。
 
同棲については、母マルシェリーヌの判断でした。娘の性への衝動が抑えられないと考えたマルシェリーヌは、それならば自分の手元に置けば安心ということで、自宅の一室に同棲させるに至ったのです。まぁ、常識では考えも及ばない発想です…。
 
そんな母の心配にはおかまいなく、同棲していたアンジーとボーイフレンド2人は夜な夜な家を抜け出し遊んでいたといいます。その後、半年くらいで同棲は解消したものの2人の関係はしばらく続いていました。
 
14歳で性の快楽を知ってしまったアンジーは、さらに自由奔放に生きることになります。
 
ちなみに、アンジーの父ジョン・ヴォイトはかなりの浮気性で、自分の想いのままに、言葉を変えると衝動的に恋愛をしていました。そして、その気性はしっかりアンジーに受け継がれている…のかもしれません。
 

【その5】アンジェリーナ・ジョリーは自傷行為をしていた!?

 
「自分探し」のエピソードで書いた博士や心理学者がもう少し突っ込んだコメントをしています。
 

(デ・ジョルジュ博士によると…)
カッターズ(自傷行為をするひとたち)たちにとって肉体的な痛みは、精神の解放を導き、心を和らげ、そして制御できない苦悩からの逃亡を促す行為となる。そのため、切るという行為のあと、普通の人は苦しみを感じるが、カッターズは平穏を感じる。これもまた合理的な説明がつく〜血を流すことで精神的苦痛をごまかしているのだ。しかし、それは一時的な解決法であり、その開放感には羞恥と混乱の感情が伴う。だから心の痛みは戻ってくる。そしてその暗さにあがないきれなくなると、また自傷行為をして解放されるのだ。
 
(心理学者アイリス・マーティンによると…)
母親に対する心の奥にある怒りを表すことが出来なかったアンジーは自分自身にそれを向け、自殺願望や自傷行為、また拒食症や過食症などの摂食障害が起こるようになります。それらはすべて自分自身への攻撃なのです。
 
*それぞれアンジー伝記『暴かれた秘密』から引用

 
子供の成長にとってとても重要な乳幼児期に起きた母の育児放棄。そして両親の離婚。それらは明らかにアンジーの心に影を落とし、自傷行為に結びついたということは間違いなさそうです。アンジー自身がのちのち、こう語っているのです。
 

  • 自傷行為はなぜか私にとって治療みたいなものだったの。
 
アンジーの伝記『暴かれた秘密』にはアンジー24歳のときタトゥーを彫るシーンが出てきます。そのなかで彫り師がアンジーを見て驚くのです。
 

(女性彫り師は)アンジーの両太ももの内側に、かなり深い傷痕があったことに衝撃を受けたという。
「私のこれまでの経験上、あれは父親のいない女の子たちに多く見られる傷痕よ。彼女たちは自分で自分を傷つけるの。生きている実感が得られるという理由でね。」
フライデー(女性彫り師)は経験から、自傷行為がタトゥーへの執心に発展する傾向にあることを知っていた。そして、それは明らかにアンジーにも当てはまった。
 
※アンジー伝記『暴かれた秘密』P201から引用、括弧内はサイト管理人注記

 
アンジーの身体にはいろいろとタトゥーがあることは多くの人がご存じかと思います。それって自傷行為の代償みたいなものだったのかもしれません。

【その6】アンジェリーナ・ジョリーはナイフ収集が趣味だった!?

【その5】にも書いたとおり、自傷行為をしていたアンジー。そんなこともありナイフ収集が趣味だったと伝わっています。
 

十代になったアンジーは、複雑な家庭環境に悩み、あちこちで拒絶されては傷つき、すっかり自信を失っていた。その結果、不眠症や摂食障害に苦しむようになり、いつしか自分の体を傷つけるようにさえなっていた。「ナイフを集めていて、いつもそばに置いていたわ」と、CNNのインタビューで語った彼女。「どういうわけか、体を傷つけて痛みを感じるあの儀式をすると、生き返ったような、解放されたような気分になれたの。私にとってはある種、セラピーのような行為だった」
 
アンジー伝記『彼女のカルテ』P33から引用

 
ところで、アンジーは十代の頃実際にホンモノのセラピーを受けていたといいます。
 

実は彼女のセラピー体験は、十代の頃にさかのぼる。学校の先生たちが、彼女の異変に気づいたからだ。「高校生の頃、単位が欲しくてセラピーに通ったのよ」とアンジー。「さすがにビヴァリーヒルズ高校でしょう?セラピーに行けば単位がもらえるのよ! でもドクターは、何でもかんでも両親の離婚のせいにしたがったわ。週末に私がLSDをやろうが、服の下でダラダラ血を流していようが、『君の父さんと母さんはね…』って、ぶつぶつ言っていたような気がする。
 
※アンジー伝記『彼女のカルテ』P33から引用)

 
アンジーのもう一つの伝記『暴かれた秘密』からナイフの記述部分を引用します。

 
彼女の儀式への愛は、ナイフや剣へと向かっていく。冷ややかな禁断の香りがする美しさや、ナイフや剣に宿る歴史だけでなく、それを手にかざし、振り下ろし、回転させ、投げるスルリルを楽しんだ。凝ったデザインのシンボルが施され、名誉と戦いの歴史が染みついたナイフは、彼女のなかに眠っていた収集の血を騒がせた。心の奥に話しかけ、彼女のなかのミタされない欲求を埋めてくれるもの、それがナイフだった。
 
精神分析医のフランツィスカ・デ・ジョルジュ博士は次のように説明する。
「”収集”もしくは”儀式”というのは、結びつきのあったものが失われたときに、その空虚感を埋めるために行う行為です。その場合、人よりも物に執着するようになります。幼少期に人が集まると問題が起こるという経験をすると、物を溜めるようになります。人間はコントロールできませんが、物ならコントロールできますからね。」
 
※アンジー伝記『暴かれた秘密』P72から引用

 
アンジーの2つの伝記には、アンジーのナイフ収集のことについては、これ以上の深い言及はありません。しかしアンジー自身が「ナイフを集めていた」ことを認めているわけで、悲しいかなそういう趣味があったということなのです。
 

【その7】アンジェリーナ・ジョリーは薬(ドラッグ)常用者だった!?

 
アンジーが14歳でバージンを捧げ同棲するに至る前からアンジーはドラッグをやっていたようです。そのあたりのことをアンジーの伝記からピックアップしてみます。
 

(当時アンジーは)ゲームセンターのウエストウッド・アーケイドをぶらついていた。その頃のウエストウッド・アーケイドは学生達が”ドラッグ”を経験しに行く場所であり(中略)、互いの”根性と肉体”を競い合う場所だった。アンジーのクラスメイトは振り返る。
「彼女はみんなの先を行く反逆者だった。誰かが問題を起こすとしたら、それは彼女だったわ」
(中略)
(別の同級生は)アンジーとその仲間たちがウエストウッド・アーケイドにいたのを覚えていた。彼は、その時初めて彼女にタバコをもらい、吸ったという。
「彼女はとてもおとなしくて目立たなかったけど、あらゆる悪いことをしていたよ。時々、ドラッグをやっているか、もしくは酔っ払いみたいに目がうつろなときがあった(中略)」
 
※アンジー伝記『暴かれた秘密』P85から引用、括弧内はサイト管理人注記。

 
伝記ではそのあとも度々、アンジーとドラッグについてのことが出てきます。そして22歳の頃、アンジーが麻薬を購入したときの売人の証言なども。
「確かに彼女はヤクを買ったけど、量は多くなかった。」と。
 
その後、アンジーは映画『トゥームレイダー』出演がきっかけで、ドラッグ、酒、タバコ、炭水化物など身体に悪いものをすっぱりやめることになります。
 
ちなみに「ドラッグをやめるのに苦しんだ」というようなエピソードは2つのアンジーの伝記のどこにも出てきません。それから推察するに、アンジーのドラッグ使用は「常用者」というほどではなかったのかもしれません。
 

【その8】アンジェリーナ・ジョリーは葬祭業をやりたかった!?

 
【その7】に書いたとおり、13歳にしてかなり乱れた生き方をしていたアンジー。そこには「死」に対する想いがありました。【その5】にも書きましたが自殺願望です。
 
心理学者のアイリス・マーティンはアンジーの抑うつ感について語っています。
 

彼女の自殺願望は、彼女が自分という概念を持っていないために生じたものと思われます。彼女のなかには幼い赤ん坊のときに捨てられたという記憶が内在しています。それが、自分なんで惨めで価値のないもの、といった自分を責めるように自分自身を罰せずにはいられなかったのでしょう。
 
※アンジー伝記『暴かれた秘密』P86より引用

 
一方、その自殺願望は死を尊ぶという想いにも派生し、人の死と向き合い、人の人生を滞りなく終了させる葬祭業に就きたいと思うようにもなったのです。
 
具体的には葬儀を取り仕切る葬祭ディレクターという職業に憧れ、それを目指しました。葬儀屋のためのハンドブックを買い求め、選択式の問題はすべて解答済みのその本はいまでも大切にとってあるといいます。
 
この頃から芽生えた「現実的に死と向き合う」という姿勢が、のちのちに予防的な癌治療へと繋がるのです。
 

【その9】アンジェリーナ・ジョリーは親の「十四光り」で活躍した!?

 
アンジーの映画出演、最初の頃は、親の七光りがあったようです。アンジーの場合、両親ともに俳優&女優ですから七光りの二倍で「十四光」です(笑)。
 
乳幼児期に母から育児放棄を受けていたアンジーですが、いっしょに暮らしていることもあってか、アンジーは母には反抗的ではなかったようです。一方、父ジョン・ヴォイトに対しては、折に触れて嫌悪感丸出しの発言も散見されます。かなり険悪な父娘関係だったようです。
 
そんなこともありジョン・ヴォイトの娘と言われることが極端に嫌だったアンジー。しかし映画撮影現場ではアンジーの父がジョンであることなど、みんなオーディションのときから分かっていて、共演者の多くもそれを知っているという状況のなかで撮影は行われていったのです。
 
またマネジャーがいないアンジー、当時の実質的なマネジャーは母マルシェリーヌでした。彼女はアンジーの仕事を取るためには離婚した元夫ジョン・ヴォイトの名前を躊躇なく使いました。
 
親の「十四光」を嫌がっていたアンジーですが、彼女自身が知らないところでしっかり「十四光」はその威光を発揮していたわけです。
 

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【その10】アンジェリーナ・ジョリーは初主演映画を見て3日間吐き続けた!?

 
アンジーは17歳のとき、初主演の映画を射止めます。父ジョン・ヴォイトの七光りを極端に嫌っていたアンジーですが、この映画主演については七光りが見え隠れしています。
 
主演映画は『サイボーグ2』(日本未公開)です。アンジーがオーディションを受けたときは『Glass Shadow』という作品名で大作として計画されていました。その後、いろいろあって予算が削られB級映画となり、タイトルも『サイボーグ2』と改められます。1989年ジャン=クロード・ヴァン・ダムが主演した映画の続編という位置づけとして制作が始まりました。
 
この映画ではもう一人の主演イライアス・コティーズとのラブシーンがありました。イライアスとアンジーの年の差15歳。これについてはイライアスのほうが難色を示していたのですが…。
 
アンジーはできあがった完成試写を見て「三日間も吐き続けた」と言っています。この『サイボーグ2』のヌード撮影がずいぶんショックだったようで、次の作品のオーディションを受けるまでに、なんと1年もかかってしまうほどでした。
 

【その11】アンジェリーナ・ジョリーはバイセクシャル!?

 
14歳のときにバージンを捧げたアンジーは、その後、かなり自由奔放な性を享受します。何事にも常識にとらわれない自由な発想と、そのときどきの思いに正直になることがアンジーの生き方となりました。恋愛についてもその生き方が展開されたのです。
 
アンジーは映画『サイバーネット』の撮影を終えた後、同年3月、次の映画『Firefox』(日本未公開)の撮影に入りました。そのとき出遭った共演女優ジェリー・シミズと恋に落ちてしまうのです。ジェリーはレズビアンです。
 
このジェリーとの恋の間、実は、最初の夫となるジョニー・リー・ミラーとの関係も続き、1996年には結婚に至ります。
 
このあたりのことについては、サイト管理人「シネマファン♪」の別の記事をちょっと引用しますね。
 

1996年、映画『サイバーネット』の宣伝活動をきっかけに愛が再燃、アンジーとジョニーは婚姻に至ります。しかし、その後もジェリーとの仲は途切れることなく、奇妙な三角関係が続くのです。それどころか、アンジーはちょいちょい女性に手を出していたと伝記『暴かれた秘密』には書かれています。
 
こういうアンジーの振るまいを「良い悪い」で判断するのは、お門違いでしょう。アンジーにとってみれば、「その時々に自分に正直に生きてきた結果」なだけなのです。
 
「【アンジェリーナ・ジョリー恋愛履歴】19歳、バイセクシュアル開花!?」から引用

 
さらに、アンジーの正直さを物語るエピソードをひとつ。
 

アンジーの恋人だと自負していたミラー(1番目の夫)が(『Firefox』の)撮影現場を訪れた時、アンジーはこのイギリス人俳優とジェニーを連れてディナーに出かけた。そこで彼女は2人とも大切な存在だということ、今は共演者のジェニーと寝ていることを告白した。
「彼女は正直だった。その姿勢が彼女の全人生を物語っていた」とジェニーはのちに振り返っている。この心と心の会話をしたあと、3人で地元のストリップ・クラブに出かけたそうだ。
「3Pはしてないわ。(ジョニーとは)あくまでもいい友達という関係だった。それにジョニーとはあまり話をしなかった。彼は私のことが怖かったんだと思う。それも仕方がないことよね?」
のちにジェニーは説明している。
 
※アンジー伝記『暴かれた秘密』P127から引用、括弧内はサイト管理人の注記です。

 
また、アンジーから3Pに誘われて断ったもののプラトニックな関係が続いた女友達がアンジーとの思い出をこう語っています。
 

アンジーに出会う前は、本当のバイセクシャルに会ったことがなかったから、実際にそういう人がいるおんかどうかも半信半疑だったの。私の妹は”バイセクシャルだという人は、そうなりたいと思っているだけ”と言っていたけど、アンジーは本当のバイセクシャルだと思う。彼女は男の人と同じように女の人も求めていた。あれは間違いなく芝居なんかじゃなかった。彼女はとにかく性に対してオープンなの。男性については脚光を浴びている人が好きだった。女性については、真の愛を感じるかどうか。彼女は友達になると、その女性を好きになってしまうの。
 
※アンジー伝記『暴かれた秘密』P130から引用

 
なかなか理解しがたいですが、アンジーの発想が自由で自分に正直ということは確かなようです。
 

【その12】アンジェリーナ・ジョリーは3度の結婚すべて映画共演がきっかけ!?

 
アンジーはこれまでに3度結婚しています。離婚も進行中のものも含め3度(^_^;)
 

  • ジョニー・リー・ミラー 1996年3月〜1999年2月
  • ビリー・ボブ・ソートン 2000年5月〜2003年5月
  • ブラッド・ピット 2014年8月〜2016年離婚申請
 
ブラッド・ピットと正式に婚姻したのは2014年8月ですが、2人は2005年前半には実質的な婚姻関係相当のパートナーになっています。そして、ブラッド・ピットの離婚申請ですが、正式に離婚が成立した…という情報はこの記事公開日現在でも入ってきていません。なので、法的には未だ夫婦ということになります。
 
さて、この3回の結婚ですが、お相手は全員俳優です。そして、それぞれ映画共演がきっかけとなり恋が芽生え結婚に至ったのです。ブラッド・ピットに至っては、共演当時、ブラピが結婚しており微妙に不倫の匂いがしないでもありません…。
 
それぞれの共演映画を記しますね。
 
  • 『サイバーネット』(1995年公開)
    • ジョニー・リー・ミラーと共演。高校生同士でラストはいい雰囲気に。
  • 『狂っちゃいないぜ』(1999年公開)
    • ビリー・ボブ・ソートンと共演。ラブラブな夫婦役。
  • 『Mr.&Mrs.スミス』(2005年公開)
    • ブラッド・ピットと共演(W主演)。夫婦役。
 
アンジーは本気で役柄に入り込むタイプの女優です。上述の3つの作品のなかでアンジーはそれぞれの共演者と熱い関係を演じるうちに、そうなってしまったようです。
 
共演者との関係性については、アンジー自身のコメントがあります。
 

「共演者とはいつも深い絆ができるの。毎回恋に落ちてしまうのよ」
これは2005年初旬、『Mr.&Mrsスミス』の撮影終了後に、アンジーが漏らした言葉だ。実際、彼女のこれまでの交際はすべて、そして戯れの恋の多くも(噂に過ぎなかったものも、そうでないものの)、撮影現場で芽生えたものだった。
 
※アンジー伝記『彼女のカルテ』P56から引用

 
以下は、邪推です。上記の映画リストの公開年をご覧いただくと、共演者といい関係になってしまうのは、おおよそ「5年周期」みたいです。それからすると2010年に何かあった???
 
実は2010年にはジョニー・デップとW主演となった映画『ツーリスト』が公開されたのです。このときアンジーはブラピと実質夫婦関係にあったのですが、ジョニー・デップとの恋の噂は、あったのです。それでも「実質パートナーを乗り換える」ことまでには至らなかったようですが…。
 
しかし、次の周期2015年から1年ずれてしまいましたが2016年には離婚申請に至ってしまいます。やはり「5年周期」の恋愛関係変化説は「あり得る」のかもしれません。
 

【その13】アンジェリーナ・ジョリーはオーディションのときにオスカー女優が決まっていた!?

 
アンジーは映画『17歳のカルテ』(1999年公開)で2000年にアカデミー助演女優賞に輝きます。そして、それはすでにオーディションのときに決まっていたのかもしれません。
 
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映画『17歳のカルテ』はスザンナ・ケイセンの原作本を読んだ女優ウィノナ・ライダーが「絶対に映画化したい」との想いで実現した映画です。この作品は女性精神病棟で暮らす若い女性たちの話です。ウィノナ・ライダー自身も同様のことで入院歴があり、その体験もあって何が何でも映画化したいと考えていたのです。それで映画化権を取得し、資金集めもやりました。当然、キャストのオーディションにも関わったのです。
 
アンジーはこの映画のなかで主演ウィノナ・ライダーが演ずる役の次にキーとなる役柄リサを演じることになりました。リサは女性精神病棟のボスです。アンジーはその役をオーディションで勝ち取ったのです。
 
アンジーがリサ役にかけた想いを見てみましょう。
 

この映画の中ででのリサは、その圧倒的な存在感と危険な魅力、そしてぎらぎら光猫のような目で
クレイムア病院に入院中の少女たちだけではなく、観客であるわたしたちの心をも捉えて離さない。その演技は、スザンナを演じた主役のウィノナ・ライダー以上に注目を集め、ジョリーはアカデミー、ゴールデングローブ両賞の助演女優賞に輝いた。
 
ある雑誌のインタビュー記事によると、ジョリーはこの映画への出演が決まる前にスザンナ・ケイセンの原作を読んでいたが、後になってその本を見てみると、彼女自身が下線を引いていたのはすべてリサに関する部分だったといういことで、彼女の配役前からのリサへの傾倒ぶりが伺われる。
(中略)
リサを演じたときのジョリーのキーワードは「野生の、飼い慣らされていない、狂気じみた」を意味する”wild”だったようだ。
 
※名作映画完全セリフ集『17歳のカルテ』P46から引用

 
そんなアンジーのリサ役への強い想いはオーディションでウィノナ・ライダーたちにすぐに伝わりました。
 

キャスティングでは、悪魔的な魅力を放つリサを誰が演じることになるのかに注目が集まったが、アンジェリーナ・ジョリーがオーディション会場に現れた瞬間に即決。うつろな目、なげやりな態度など、審査が始まる前からすでにリサになりきっていたという。
 
※名作映画完全セリフ集『17歳のカルテ』から引用

 
映画化権を買い取り、製作総指揮まで務めた主演ウィノナ・ライダーもすてきな演技でしたが、この映画『17歳のカルテ』では異彩を放つリサ役を見事に演じたアンジーに評価と注目が集中し、アンジーの助演女優賞受賞になったのです。つまりは、彼女の助演女優賞は「オーディションのときからすでに決まっていた」のかもしれません。
 
この『17歳のカルテ』はアンジーを一流女優に押し上げ、一方、一切の賞とは無縁だったウィノナ・ライダーは女優としての不遇のはじまりになってしまうのです…。
 
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映画『17歳のカルテ』については次の記事もお読みいただけると、いろんな背景が理解いただけると思います。

 

【その14】アンジェリーナ・ジョリーは撮影現場変更で慈善家になった!?

 
アンジーの人生最大転機となったのは映画『トゥームレイダー』です。その撮影でカンボジアを訪れ、難民たちの実態を目の当たりにして、アンジーの人生は大きく変わりました。アンジー自身が強い意志で自らの人生の舵を大きく切り始めたのです。
 
カンボジアは1970年にカンボジア王国が倒れ内戦が勃発。それに加えベトナム戦争の影響などもあり、市民生活は悲惨な状況でした。このころ、飢饉、疫病、虐殺などで死者最大200万人以上とも言われています。これは当時の人口の3割弱にも及んだのです。そして、内戦時に敷設された地雷が多数残っており、それによる死傷事故も未だに起きるという状態です。
 
アンジーが映画『トゥームレイダー』の撮影のためカンボジアを訪れたのは2000年です。それは内戦が終わり、ベトナム軍も撤退、パリ平和協定が締結されてから10年弱というときです。まだまだ戦禍は残っており、それをアンジーは衝撃とともに見たわけです。
 
そのことでアンジーは「人道支援・難民支援をする」という決心をすぐさましたのです。映画『トゥームレイダー』の撮影が2001年明けに一段落すると、2月には難民高等弁務官事務所スタッフに同行する形で難民各地への視察に向かっています。
 
このあたりのことについては【その16】「アンジェリーナ・ジョリーは怖い物知らずで死と隣り合わせの難民各地をまわる!?」もごらんください。また、カンボジアについては、こちらの記事もごらんください。
☞ アンジェリーナ・ジョリー長男マドックスの故郷カンボジアについて
 
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さてさて、遅くなりましたが本エピソードの本題です。
 
アンジーの人生を大きく変えた映画『トゥームレイダー』の撮影ですが、実は、カンボジアで撮影が行われたのは偶然だったのです。
 
当初予定されていたロケ地は万里の長城、もしくはスコットランドのハドリアヌス長城でした。しかし、予算や治安などの問題から最終的には費用を抑える目的で、カンボジアが撮影地となったのです。
 
この偶然のロケ地変更がなかったら、いまのアンジーは存在しなかったのかもしれないのです。なお、このあたりのことについては、こちらの記事もお読みいただければと想います。
☞ アンジェリーナ・ジョリー主演映画『トゥームレイダー』〜難民救済に取り組むきっかけに!?
 

【その15】アンジェリーナ・ジョリーは監督4作目を26歳のときから暖めていた!?

 
アンジーは2011年公開『最愛の大地』から監督業にもチャレンジ。以来、4作の監督作品を世に出しています。
 

  • 『最愛の大地』(2011年公開)監督・脚本・制作
  • 『不屈の男 アンブロークン』(2014年)監督
  • 『白い帽子の女』(2015年)監督・脚本・制作・主演
  • 『最初に父が殺された』(2017年)監督・脚本・制作
 
今回のエピソードはこの監督4作目である『最初に父が殺された』については26歳から映画化を考えていたよ…というものです。
 
映画『最初に父が殺された』は【その14】で触れたカンボジアにおける内戦時の話で、ルオン・ウン氏が自らの実体験を綴った本が原作となっています。そして、映画のなかではルオンが内戦の厳しいなかを生き抜くというストーリーとなっています。
 
アンジーはこのルオン氏とは26歳のときに出遭っているのです。アンジーが難民支援をはじめたことを知ったルオン氏は、アンジーに著書を送ります。アンジーは著書を読み衝撃を受けます。それからほどなく、2人は直接出遭うのです。2001年2月から開始したアンジーの難民各地視察ですが、2箇所目として同年7月にカンボジアを訪れます。そのときにルオン氏も同行し、1週間以上視察各地をいっしょにまわったのです。
 
そしてアンジーの心のなかにはカンボジアの状況を世に知らしめるためにルオン氏の著書を映画化したいという想いが起きて、2人で脚本に着手しました。それが結実したのが2017年Netflixオリジナル映画として世に出た『最初に父が殺された』なのです。
 
「原作者ルオン・ウン氏との出遭いと親交」については、こちらの記事もどうぞ。
☞ アンジェリーナ・ジョリーが監督映画『最初に父が殺された』に賭けた想いは…
 

【その16】アンジェリーナ・ジョリーは怖い物知らずで死と隣り合わせの難民各地をまわる!?

 
アンジーは映画『トゥームレイダー』の撮影で2000年カンボジアを訪れ、当時のカンボジア難民の悲惨な実態を目の当たりにしてショックを受けます。それが契機となり、人道支援に目覚めたアンジーは、『トゥームレイダー』の撮影を終え2001年には難民各地をまわる旅に出かけたのです。それは難民高等弁務官事務所スタッフと同行する形で行われました。
 
当時、有名女優の売名行為みたいに見ていた者もいたようですが、彼女の行動を見るに、その真剣な想いが伝わります。アンジーの伝記から引用させていただきますね。
 

カンボジアでの撮影を終えたとき、アンジーはこう語っている。
「この国での経験は私の人生を変えたわ。私が思っていたより世界ははるかに大きかった。学ぶべきことはまだたくさんあるのね。」
 
アンジーはカンボジアという国や現地の人々に深く感銘を受け、帰国後三日間泣き続けた。なぜかはわからなかったが、涙があふれ止まらなかったという。 
「この国がどんなことを乗り越えてきたのか私は知らなかったし、歴史の授業でも習わなかった。でも、カンボジアの人々はとても温かく、美しく、純粋で正直だった。そして、カンボジアという国が、ただもう愛おしくてたまらなくなった。」
 
伝記『暴かれた秘密』(アンドリュー・モートン著)P247より引用。なお、強調箇所はサイト管理人によるものです。

 
映画『トゥームレイダー』の撮影でアンジーがカンボジア入りしたのが2000年11月。そして撮影が一段落したのは2001年明けですが、同年2月下旬には、難民各地を回り始めたのです。
 
アンジーはこの模様を著書『思いは国境を越えて』で書いています。その序文から彼女の決意を引用しますね。
 

もし世界の人たちが難民の状況を、その事実を知ったのであれば、必ず手を差し延べてくれると私は信じています。何も知らないとしたら、それは私たちの責任です。
 
ですから私への「なぜそんなことをするのか?」といったような問いかけは適切ではないと思います。どうしてこれまでやってこなかったのかが問われるべきなのです。
 
アンジー著書『思いは国境を越えて』序文から引用

 
アンジーは『トゥームレイダー』の撮影を終えた直後から1年ちょっとの間に4箇所の難民地域をまわります。アフリカ、カンボジア、パキスタン、そしてエクアドル。この訪問に費やした日数は合計で44日間。撮影の合間を縫ってこれを実行しているのですから、アンジーの本気さがうかがえます。
 
しかも、危険が伴い普通なら足を踏み入れるのをためらうところにも、アンジーはきちんと出向いていったといいます。この項目のタイトルには「アンジェリーナ・ジョリー-は怖い物知らずで死と隣り合わせの難民各地をまわる!?」としましたが、「怖い物知らず」という表現は適切でなかったかもしれません。真実は、アンジーの信念がそうさせたということなのです。
 
だから、誰がどう彼女の行動を批判しようがアンジー自身は全く揺るがないのです。
 

【その17】アンジェリーナ・ジョリーは精神病院の入院歴があった!?

 
アンジーの2番目の夫となるビリー・ボブ・ソートン。結婚前、彼と「ワイルドで濃密なドライブ旅行」のあと、ビリーのレコーディングの仕事で、アンジーは一時的に愛する彼と音信不通状態になってしまいます。
 
アンジーはそれで、ビリーが元恋人ローラ・ダーンの元に戻ってしまったのではないか、あるいは死んでしまったのではないかと思い悩み、極度の混乱状態に陥ってしまうのです。
 
そして、ロスに戻ったアンジーを出迎えた母マルシェリーヌは、そのまま付き添って病院に向かいます。アンジー自身の希望もあり、UCLAメディカルセンターの精神科に入院するのが一番だという判断のもと、入院に至ったのです。
 
この入院から3年ほど経って、アンジーはこの入院のことをマスコミに告白しています。当時のことを伝えるニュース記事を引用しますね。
 

米国の女優アンジェリーナ・ジョリーさん(28)が、「誰かを殺したいという衝動」のため、3年前に精神病棟に入院していたことを告白した。
 
米芸能専門雑誌の最近号は「ジョリーさんが『監督で俳優のビリー・ボブ・ソーントンさん(47)と結婚式を挙げる直前だった2000年3月、極度の緊張感から悲しみを自制できず、殺人衝動にかられ、UCLAメディカルセンターに3日間入院した』と話した」という記事を掲載した。
 
またジョリーさんは今年5月、ソーントンさんと離婚する前の3カ月間「拒食症」に苦しんだことがあり、離婚後には「バイセクシュアル(両性愛者)」だと告白していた。
 
※中央日報2003年9月21日の記事から引用

 
このアンジーの入院について、専門家の分析を引用します。
 

フランツィスカ・デ・ジョルジュ博士は(アンジー精神錯乱の)この一連の騒動について次のように分析している。
「ビリー・ボブと出会い、彼女はついに自分に目を向け、内面をさらけ出せる相手を見つけたと期待していたに違いありません。でも、精神的に赤ん坊同然の彼女は、彼と連絡が取れないと、すぐにまた傷ついた心の殻に閉じこもってしまったのでしょう」
とはいえ博士は、アンジーがこれまでのように”人格が乖離するような手段”〜ドラッグの摂取や自傷行為、自殺を考えるなど〜に訴えるのではなく、医学的な監視体制に自らを置いたことは、”偉大なる”進歩であり、称賛に値するとの見解を示した。
 
※アンジー伝記『暴かれた秘密』P227から引用

 
博士が言及している「進歩」は、入院のあと撮影に入った映画『トゥームレイダー』でさらなる発展を見せるわけです♪
 

【その18】アンジェリーナ・ジョリーはエイズの心配があっても養女ザハラを見捨てなかった!?

 
アンジーは最初の子供(養子)マドックスに続き、2番目の養子を迎えます。エチオピア生まれのザハラです。なぜエチオピアなのかというと、長男マドックスが「アフリカ人の弟か妹が欲しい」お願いしていたからなんだとか。アンジーも親馬鹿です(笑)。
 
そんなこんながあり、アンジーとブラピ(当時2人はまだ婚姻関係がなくパートナー)はエチオピアを訪れ、エイズ孤児(★1)のザハラと出遭い、2005年7月6日に養子縁組手続きが完了します。アンジーとブラピにとって「ザハラの母がエイズで亡くなっていた」ことは心配な点ではあったのですが…。
 
アンジーがザハラのことを語った内容を伝記『彼女のカルテ』から引用させていただきますね。
 

母親がエイズで亡くなっていたことが、当初は大きな懸念だった。それに対し彼女は「ザハラもHIVに感染してるんじゃないかって、すごく心配したわ」と、CNNのインタビューで語った。「その上、改まってこんな説明を聞かされたから、すっかり動転してしまったのよ。『心配はいりません、この国では、エイズは死刑宣告じゃありませんから』なんてね」。ともあれ、検査で陰性と判明し、アンジーは大いに胸をなで降ろしたのだった。
 
※アンジー伝記『彼女のカルテ』P188から引用

 
アンジーの伝記などから浮かび上がる彼女の行動様式からすれば「HIVに感染していないことを確認してから養子にする」ことはないと推測します。自分の直感に従い行動するアンジーなので「まずザハラを養子にすることを決心し、それから心配なHIVについて調べた」という時系列になるのだと思います。
 
それにしてもザハラは驚くほどに衰弱していました。死線を彷徨うほどに。
 
「ザハラを養子にすると決めた瞬間から、アンジーは彼女の母になっていた」ということをご理解いただくために、もうひとつの伝記からも引用させていただきますね。
 

こうして四人となった家族は、子守を一人従え、プライベート機に乗り込み、ニューヨークへ向かった。そして到着後、孤児を専門とするジェーン・アロンソン医師が、家族に加わった小さなミス・ジョリーの健康状態を入念に調べることになっていた。
 
ありがたいことにHIVには感染していなかったものの、ザハラは脱水書状と栄養失調に加え、くる病にかかり衰弱していた。また、その翌日には、サルモネラ菌に感染していることも発覚。生死に関わる症状と診断されて入院する。
 
アンジーが一週間枕元につき添い、夜通し看病を続ける中、ザハラは徐々に回復に向かった。だが当時、病気に苦しんでいたのはザハラだけではなかった。先にロサンゼルスに飛んでいたブラッドも体調を崩して入院していた。病名はウィルス性髄膜炎だった。七月十五日、完全に健康と診断されたザハラが退院した。
 
※アンジー伝記『暴かれた秘密』P324から引用

 
ザハラは当時生後6ヶ月だというのに体重は4キロもなく、そんな体調での闘病は私たちが想像する以上に大変なことだったと思います。アンジーの献身的な看護もあり回復したザハラは、のちにアンジーが「チャビー(ぶくぶくちゃん)」と呼ぶくらいにふっくらと体重も増えていったそうです。めでたし、めでたし♪
 
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★1、ザハラを養子受け入れるときアンジーは彼女がエイズ孤児と聞かされていました。後年、実母が生存していることが発覚し、ちょっとした騒動になります。結果、実母は「親権はアンジーのままを承諾」、引き下がったと言われています。
 
*アイキャッチ画像の出典:pixabay
 
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